連載・Yoko Ueno Lewis|暮らしノート・第16回 「レストン・ヴァージニアで考えたこと」(中編)

連載・Yoko Ueno Lewis|暮らしノート・第16回

Yoko Ueno Lewisの暮らしノート

The Way We Live with “STYLE”

暮らしノート 第16回

超高齢化社会(対エルダーズ)における“Less is More”(中編)

“Less is More”とは、近代主義建築のコンセプトを確立したドイツの建築家であるミース・ファン・デル・ローエ(ファンズワース邸、バルセロナ・パビリオン、シーグラムBLDG(マンハッタン)などを設計)が提唱した美意識とスタイルを語るフレーズです。直訳すると、より少ないことこそ、より多くをもたらす つまり、もたないこと、足りないこと、ないことによって、逆に得ることの大きさや深さが在るのだということです。

進行する環境破壊と超高齢化社会における“Less is More”(前編)を読む

Text & Photographs by Yoko Ueno Lewis(Jun. 2014)

cart_120704rumors_banner

アメリカ社会は完璧な大人社会である

“Less is More”の考え方は、その後、ロンドンミニマムで知られる、ジョン・ポーソン(www.johnpawson.com)など、多くの建築家やインテリアデザイナーによって、そのコンセプトが具体化されつづけてきました。今、さまざまな形で表面化している深刻な環境問題と、歯止めのきかない超高齢化社会に向き合うためにもっとも即した哲学・思想として、あらたに注目すべきコンセプトではないかと思います。

レストン・ヴァージニアでの1週間は、このLess is Moreの意味を、計らずも、個人的に再認識する機会をもたらしてくれました。たとえば、日本でこのような計画都市が今から創れるかというと、ほとんど不可能といえます。土地の広さそのもののベクトルが、アメリカとは異なるからです。また、アメリカ社会が完璧な大人社会であるという社会的、民意的なちがいもあります。

しかし、ここで実感できるのはいわば逆説的な結果を生む“Less is More”の考え方です。ハイスタンダードで無駄や無理のない日常、より少ない出費でより高いベネフィットを得るシステム、基本的な構造とシステムのスタンダード(標準装備)のレベルが高いため、無理をしてレベルを上げる必要がなく、逆に出費を押さえることができる、それは、日本が抱えている、そしてさらに進行する、エルダーズケア(超高齢化社会対策)のシステムのためにはかなり有効といえます(高齢者という言語には他人事のような響きがあり、またこれが差別的な意味をもたらす可能性もあるなか、エルダーズというわずかでも年長者に対する尊厳の意味も含まれるワードを用いました)。

快適な暮らしの底辺(ボトム)が決定的にちがう

アメリカでは引越のときに、冷蔵庫や洗濯機、乾燥機を持ち運ぶ必要がありません。引越し先にすでに備わっているからです。さらに、電子レンジや食器洗い機、生ゴミを粉砕して流せるディスポーザーなどが装備されている場合がほとんどです。日本の人がおそらく抱くであろう、知らない人が使っていたから不快だという感覚はまずありません。プロによって完璧にクリーンナップされているのは当然、条件によってはブランドニュー(新品)が備わっています。

このことは、些細なことのようですが、暮らしのスタンダード装備が、売り手の経済競争下のディテールの優劣や、過剰な装飾や趣味の世界に翻弄されることなく、ある一定の必要十分なレベルに完結されていることが、快適な暮らしのいわば底辺(ボトム)となり得るからです。日常のボトムアップ、つまり日常生活のスタンダードが高ければ高いほど、暮らしは豊かで、なおかつより平等になるはずです。

冷蔵庫や洗濯機に、不要な装飾や過剰な機能を競う必要はなく、普通に機能し、インテリアをじゃましない程度にシンプルに控えめであることが必要十分条件といえます。

エルダリーソサエティ(高齢者社会)に向けて有効な住まいとは

レストン・ヴァージニアではごく普通のアパートに、大理石のキッチンカウンタートップ、ステンレスの大型冷蔵庫、コンパクトな白い洗濯機と乾燥機、そして最上階にはプールとジム、ミーティングルーム、大型スクリーンの備わったコミュニティルーム、コーヒーバー、ワイヤレスインターネットシステムなどの施設やインフラが備わっていて、管理費込みの家賃が、ワンベッドルーム(バルコニーと駐車スペース付き、東京の1Kの約2.5倍の広さ)で、日本円で約15万円から18万円というレベルです。これがスタンダードであり、スタンダードのレベルの高いことが生活の豊かさを意味しています。決して、高額な家賃の家に住み、最新の家電に囲まれて、高い出費をする暮らしが豊かとはいえないのです。

ここで考えられることは、エルダリーソサエティ(高齢者社会)に向けて有効な住まいと、その環境創りです。どこまでも可能な限り自立して、QOL(Quality of Life)を維持できることが、だれしもの理想ではないでしょうか? ここでいうQOLとは、生きていくことに満足し、できればわずかでも幸福感を味わえるような、他人(家族も含む)に頼らないで日常生活を送れる自己充足型のスタイルです。

そこで重要となってくるのがバランスです。孤立することも、他者との同化を強いられることも、どちらもQOLを得られるとはいえないからです。自立していて得られる自由と、従属することで受けられる保護とのバランスです。鍵と電話(コミュニケーションツール)で得られるプライバシーと、共有の環境や施設、サービス、インフラなど、ある一定水準の保証と保護から得られるものの両方のバランスをとりながら、自身の生活をクリエイトしていくことが、一般的な65歳以上のエルダーズ(仮に高齢という年齢を65歳以上とした場合)にとっての望ましいライフスタイルではないかと思います。

そして、究極的にはエルダーズという意識ではなく、エルダーズにとって住みやすい環境はだれにとっても住みやすい環境ですから、もともとの考え方での住居と住居環境のスタンダードを確立していく必要があるといえます。

高齢になってからの日常生活を想像する

レストン・ヴァージニアにあるような、計画的でバランスのとれたハイスタンダード装備に支えられた日常生活によって得られる余裕とストレスからの解放が、とくに高齢になってからは、もっとも有効な条件ではないかと思います。

たとえば、日本ではいまだセントラルヒーティングやディスポーザ(シンクに内蔵された生ゴミ粉砕機)のインフラが一般的には完備されていません。

ゴミをいつでも、好きな時間に廃棄できるシステムが、どこまで徹底されているでしょうか?身体の自由があまりきかない状態で、決められた日の決められた場所へのゴミ出しのたいへんさは、健康な人にはわからないと思います。また、おむつ交換の必要な人を抱えた家庭で、どれだけの介護ゴミが出るか、そのゴミの廃棄にどれだけのストレスを人は抱えることになっているか、そして、極端に寒いトイレや玄関周り、ここで倒れて命を落としたり、重い障害を負う人のことを想像します。セントラルヒーティングなら、すべてのスペースはつねに一定の温度管理がされています。

これは価格の問題でしょうか? 意味ない過剰な装飾やお仕着せの幻想的な便利さにお金をかけるのではなく、ヒーティングや風通しのためのサーキュレイションなどの基本的な生活装備に注意を払うこととの間に、お金ではなく、むしろ考え方のへだたりの存在を感じます。

デザイン&プランニング

Yoko Ueno Lewis(ヨウコ・ウエノ・ルイス)
ウェブ&ブログ|www.yokoueno.com
http://lookslikegooddesign.com/wooden-products-by-yoko-ueno-lewis/
オンラインショッピング|http://kaunis.jp/handle_uenoyokolewis.php

tosaryu_rumors_bnr

banner_ueno

ABOUT
UENO Yoko Lewis

Yoko Lewis Design主宰 グラフィック&プロダクツデザイナー 京都芸大ビジュアルデザイン専攻(現 […]