BOOK｜監訳者、中野香織による『シャネル、革命の秘密』解説

BOOK｜時代がシャネルを形づくり、シャネルが時代を変えていく

監訳者、中野香織による『シャネル、革命の秘密』解説

ガブリエル・ココ・シャネルは、知的で想像力に溢れる、一風変わった女性だった――彼女は貧しく孤独な子ども時代を生き抜き、20世紀でもっとも影響力をおよぼした女性の一人となった。控えめで誘惑的でエレガントなスタイルは、いまの女性服に不可欠な要素だが、第一次世界大戦がはじまるころにはもうそんな風になっていた。シャネルがそうしたのだ。

Text by NAKANO KaoriPhotographs by JAMANDFIX

500ページ超、厚さ3センチ超の大著

『シャネル、革命の秘密』は、あたらしく発見された資料をふくむ圧倒的な量の資料に基づき、きめ細かく丁寧にシャネルの生涯を描ききっています。シャネル研究書としても貴重であるうえ、シャネルを通して見た20世紀文化史としても目配りが行き届き、ブランドのあり方やファッションの本質を考えるうえでも、示唆に富む考察に満ちています。なによりも、一人の類まれなる女性の生涯を描いた大河小説さながらの読み物として、深い感動をあたえてくれます。総合的に見て、いわば、現時点におけるシャネル伝の決定打と呼べるのではないでしょうか。

これまであまたのシャネル伝では使われていなかったあたらしい資料の白眉は、アーサー・＜ボーイ＞・カペルの手紙です。これに基づき、アーサーがシャネルではなく、ダイアナを妻に選んだときの心情やそのときの三人の関係が、生々しく描かれます。

また、別の恋人、ロシア貴族ドミトリー・パヴロヴィッチの日記も、はじめて資料としてもちいられています。これによって、従来のシャネルとドミトリーとの関係をめぐる定説に修正がくわえられることになりました。ほかにも、これまでに明らかにされていなかった、シャネルにかかわった人物へのインタビューが多々資料として使われており、そんな一つひとつの生きた言葉の集積が、シャネルの輪郭をいっそう深く浮き彫りにしていきます。

神話のような「教え」に満ちたシャネルの人生

シャネルのことをはじめて知る読者にとっても、ファッションには関心がないという読者にとっても、本書はインスピレーションに満ちているはずです。

父に棄てられて修道院で育ち、愛人の援助によりキャリアをスタートさせ、常識をくつがえす革命的なモードを次々に世に出して世界的に成功する。同時代の一流の芸術家や著名人たちとの華やかな交際によって文化の形成にも一翼を担い、富裕で自立した恋多き女性のスタイルアイコンとして時代の寵児となる。第二次大戦ではスパイ容疑をかけられて国外へ亡命、失意の期間を経ながらも、晩年に奇跡のカムバックを果たし、世界でもっとも有名なファッションブランド帝国を築く。

よく知られたこのストーリーが31章に分けて語られるのですが、あらためて俯瞰してみると、シャネルの人生の物語が神話のような「教え」に満ちていて、時代と密接に絡まり合いながらドラマティックに流れていくことに気づきます。

感情に働きかける力をもつ物語

物語に知的な深みと広がりをあたえるのは、モダニズム、アヴァンギャルド、シュールレアリスム、ユースレヴォルーションといった20世紀の文化や芸術。英国紳士、亡命貴族、公爵、詩人、画家、そしてスパイといったセレブリティや危険人物との恋愛や情事が、つねに艶やかな彩りをあたえています。愛情生活と結びついた仕事に打ち込むなかで、カメリア、リトルブラックドレス、コスチュームジュエリー、ショルダーバッグ、シャネルスーツといった20世紀の女性に不可欠となったシャネルスタイルが生まれていきます。時代がシャネルを形づくり、シャネルが時代を変えていく。そんな濃密な全ストーリーを通して、「No.5」がかぐわしく香っているというイメージ……と言ったらかっこよすぎるでしょうか。

それぞれのステージでのシャネルの行動や言葉に、ときには共感し、驚き、ときには涙ぐんだりもしながら、自分自身の人生をつい二重写しにしながら読みたくなるような、そんな感情に働きかける力をもつ物語として仕上げられています。

シャネルが20世紀の女性像にラディカルな革命を起こしたように、本書が読者のみなさまの心に、ひいては人生に、静かな革命を起こすきっかけになることを願ってやみません。