第6回  今回はサーフィンとヨガについて
Fashion
2015年3月6日

第6回 今回はサーフィンとヨガについて

第6回 今回はサーフィンとヨガについて

僕にとっては、サーフィンとヨガの2つに深くハマるきっかけは、伝説のサーファーであるジェリー・ロペスとの出会いでした。
彼はサーファーでありながらヨガを取り入れ紹介したオリジナルな存在なので、僕にとってこの2つはセットなのです。

写真・文=信國太志

今まであったどんな人ともスケールが違ったジェリー・ロペス

人は人生において重要な出会いを幾度か経験するものです。ぼくは彼以前にもそのような出会いはたびたびあったのですが、それはどちらかというと自己投影でした。こんなカッコイイ自分らしさをもった個性的な人に憧れる。そんな感じです。

ジョン・ガリアーノに憧れて、バスティーユのアトリエの門をたたいたりしたのはそんな理由です。
でもジェリーさんはちょっと違いました。その個性に憧れるというより個性を超えた大きな存在に心が溶けてしまったのです。
その空気に大海原を感じました。その瞳に地球を見ました。今まであったどんな人ともスケールが違いました。

その日から「どうしたらそんな存在に近づけるだろう?」「彼のような存在を目指すのか、それとも飲んだくれ業界オヤジになるのか?」と考え、その答えはひとつでした。

本当に超えることとは、その恐怖と一つになるしかないはず

それから毎週海へ向かうようになりました。毎朝マットの上に立つようになりました。

海に入っても下手過ぎて波に洗われ洗濯機状態。マットの上で硬い身体に四苦八苦。でも飽きることもなかった。
海辺でゴミ拾いをしてるだけで海とつながり、一歩ジェリーさんに近づける気がしました。ヨガのポーズがひとつ増えるたびに、ジェリーさんのフィーリングを実感できる気がしました。

そもそも何にもっとも影響されたかというとその笑顔でした。初対面のへっぽこサーファーに旧知のサーフバディーを迎えるような満面の笑みをみせる彼に、正直この人はサーフィンしすぎてちょっとおかしくなったんじゃないかと疑うほど異様な感じをうけました。

でも彼のライフスタイルを模倣するうちに少しずつその笑顔の秘密がわかってきました。
彼には自分とか他人とか知り合いとか知らない人とかそのような区別が消失していたのです。まるで万物がひとつであり自らであるような、そんな境地にいたっていたのです。

これは憶測ですが、きっと胃が痛くなるような恐怖を覚える大波に向かううちにそのような精神が生まれたのかと思いました。乗り越えるべき対象があるとき、それがチャレンジして克服する相手であるかぎり、恐怖は消えません。本当に超えることとは、その恐怖と一つになるしかないはずです。自分と波が一つになったときすべての恐怖は消えるはずです。

彼はとくにビッグウェーブでのリラックスしたライディングスタイルで有名ですが、そのようなスタイルはその顕れにちがいありません。とくにチューブといわれる筒状の波をくぐり抜けるライディングについて彼はそのことを「緊張しながらリラックスすること。」だと語ります。

まるで禅問答のような答えですが、一つになるとはそのような相反する感覚すら超越した意識です。

ヨガとは人それぞれ出会うときが運命的に決まっている

しかし、よくサーフィンして「なにか変わりましたか?」とか「ヨガはサーフィンの役にたちますか?」とか「サーフィンして体力つきました?」とか訊かれるのですが、
正直ヨガによる意識の変革もさることながら、僕がハマッたアシュタンガヨガに比べたら、サーフィンはたいした運動量ではありません。

1時間半近くにかけてまったくとぎれることのない呼吸やムーブメントに比べれば、海に浮かんでときおりパドリングすることは大したことではないです。
ヨガの間違ったイメージでそれは女性的でリラックスしたものだと思われているようですが、その実それはとてもハードです。

逆説的ですが、本当のこころの平穏はそのようなハードなプラクティスの代償としてもたらされるものです。
それは疲れて落ちつくということではなく、自律神経のプラス(交感神経)とマイナス(副交感神経)とのバランスがとれた状態のことです。

たとえるなら完全に明晰な意識で眠っているような状態。先ほどのジェリーさんの「緊張しながらリラックスした状態。」

どれだけ多くの言葉でも表現しきれません。まるで外人に柿の味を説明するようなものです。「色はミカンみたいだけど、味はリンゴのようだけど全然違って……」
なので興味がある人は試みてください。ミカンのような色でリンゴのような食感といったところで柿は食べなければ味わえません。
ジェリーさんは「ヨガとは人それぞれ出会うときが運命的に決まっている。」とどこかで語っていたので、二度目に再開したときに僕はこう言いました。

「あなたはそう言ったけど、僕にとってはあなたに会った瞬間がまさしくそのときでした。ありがとう。」と。
するとジェリーさんは、「今生で出会えてよかったね。でもそれがダメでもまた次の人生で始めればよかったし……。」

先輩、次の人生なんて待てないです、勘弁してください。

すべてが「動」から「静」に向かっています

しかしそんな生活も何年にもなり、最近はまた違う段階にきています。

ヨガのプラクティスも最近減りました。道教や気功もそうなのですが、身体を使うプラクティスは、ときを経て、より内的なエネルギーに向かうのが自然な流れ。最近は身体を動かさずともエネルギーの循環を操作できるようになり、山手線に乗っていようが本当の意味でのヨガができるようになったので、あまり必要なくなってきました。

それと、海もいいけど山もいいなあと思えるようになりました。ジェリーさんもオレゴンの山に住んでいますが、人生の後半にそのようなシフトをした氏の気持ちは僭越ながらよくわかります。

海で頭からスカっと抜けるような波のエネルギーに親しむうちに、今度はそのエネルギーを大地に落ち着かせたくなってきました。

なんだかそのようにすべてが「動」から「静」に向かっています。
年くってヤキがまわってきたのかもしれませんね……。

以上ファッションとあまり関係ない話ですいません。

追伸
上記のおはなしを書いた直後にジェリーさんの自伝『SURF REALIZATION』という本が日本語訳で出版されました。
そこにあるのは、僕らへっぽこサーファーにも同様でひたすら沖でこぎだす白波にやられる苦労の連続。神様でもそうなんですね、と納得。
そして僕がジェリーさんの笑顔に読みとった精神性は間違ってなかったことがわかりました。
ビッグウェーブに向かう心構えについて、氏(そして師)は老子の以下のような言葉を引用しています。

The way to do is to be.

何かをするにはそのものになること。
サーフィンは波との戦いではなく波になるということ。

           
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