いま、世界が注目するニッポンの若手建築家たち|Vol.6 石上 純也

いま、世界が注目するニッポンの若手建築家たち|Vol.6 石上 純也

OPENERS的ニッポンの若手建築家

Vol.6 石上 純也インタビュー

建築という、なによりも力強いものを

建築がもつ力強さを自身のイメージや確たる理念でかたちにしていく石上純也氏。その一見はかなくて美しい建築は日本の美にも通底していて、世界中が注目する日本の建築の急先鋒です。
先ごろイタリアで行われたヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で各国メディアから高い評価を得たことも記憶に新しい。今回のインタヴューでは「空間」や「建築がもつリアリティ」の問題、石上純也氏が今考えていること、そしてそこから生み出される建築の本質的な部分について一気に語っていただきました。

インタビュアー、まとめ=加藤孝司

──石上さんにとってリアリティとは何ですか

さまざまなものが、混ざり合っていく現象そのものです。
完全に独立したものというのはこの世の中にはないと思っています。もちろん、想像のなかでは、独立したものは考えられるかもしれないけれど、結局、僕らの住む世界にそれを落とし込んでいったときに、あるところで、破綻が生じてしまうように思うのです。
様々なものは様々な状態で影響し合うことで成り立っているし、その影響によって常に、状態が変化していきます。
そういう意味で、何かを考えるときに、ある幅をもって思考できないとその考察自体が意味を持たないのではないかと思っています。

──それはひとつの思想に凝り固まってしまうと、その考えを貫くために矛盾が生じてきてしまうことにも関係していますか?

ある部分では、関係しているのかも知れませんが、思想そのものがリアリティをつくりあげていくこともあるので、リアリティと思想が相反するものとは思っていません。

ただ、ある思想が現実の社会に広まっていく段階では、その思想は多くの場合は、さまざまなものと影響しあいながら変化したり、薄まったりしているように思います。なので、ある思想を維持しようとする強固な姿勢は、リアリティから遠ざかってしまうのだと思います。とくに、今の時代、なにかひとつの概念で全体を説明できるとは思えません。たとえば、車を例にとってみても、スピードを求める人もいれば環境保護を訴える人もいる。どちらも同じように、車の価値を見出すことになるとは思うのですが、重要なのは、それらのどれもが、同じ方向性を向いていないということだと思います。単純に一つのゴールや目標を決めてそこに向かってみんなが足並みをそろえて突き進める時代でないことは確かです。その中で、新しいという価値観をどのように見つけていけるのかということは、僕自身すごく考えています。

僕の中では、新しいバランスを見つけ出すことが、見たことのない新鮮なものを作り出すことになるのではないかと思っています。逆を言えば、どんなに新しい発見をしたとしても、なにかと、結びつきをもって新しい関係をつくりだせない限り、それを新鮮だとは感じないのではないでしょうか。新しい発見をし、新しい関係性の中でそれを見出していくことで、いろいろなもののバランスが更新されていくように思います。そのようにして、バランス自体のなかにある強度をもたせるように何か新しいものを作っていけないかと考えています。

──石上さんが空間を語るときにおっしゃるそのリアリティという言葉は、石上さんが建築するうえでのリアリティに結びついていますか?

もちろん、結びついています。リアリティなしでは、建築は成り立たないと思っています。

──当然ながら、建築はつくることによってリアリティが生じてくるということですね

ただ、建築をつくるという行為が、単に建物を建設するだけとは思っていません。
それは、たぶん、建築が持つ抽象性と関係していると思っています。たとえば、プロダクトなどは、多くの場合、いろいろなことを原寸で検討できる気がします。図面であれ、模型であれ。ところが、建築の場合、原寸で考えるということがほとんどできないので、縮尺された図面や模型などの抽象レベルを一度介してでないと、全体像がつかめません。そういう意味では、図面や模型なども建築をかたちづくっている大きな要素の一つです。そのような観点で昔から、図面などは建築の表現として様々な工夫がされてきました。教会の図面などをみると、まるで、花柄がちりばめられたように美しいものです。図面がたんなる指示書ではないことは一目瞭然です。なにかの世界があらわされているようにも感じます。現実の空間が持つ具体性と、図面や模型などが持つ抽象性、それらの関係性の中で建築は成り立っているのだと思います。ぼくはその新しいバランス(もしくは、関係)を見つけたいと思っています。

──確かにある時代においては思想だけで建築を表現していた時代もあったりして、それにはその時代固有の時代背景があったと思うのですが、今の時代は何かしら表に向かって噴き出していく時代だと思っているのですが、石上さんは今の時代をどのようにとらえていますか?

もちろん、その時代ごとにリアリティの在り方は違うと思うので、思想の部分が全体のなかで、実際の建物よりもある強度を持っていたときもあるのだと思います。

たとえば、モダニズムの時代は、ある思想をもってリアリティを「提案」していた時代だったように思います。現代は、それら提案されていたいろいろなリアリティが実行され、さまざまな複雑な現象がまき起こっている時代だと思います。それは自然現象にも近い、もしくは、自然現象をも巻き込む人為的な現象です。そこには、さまざまな矛盾が同時に存在しています。モダニズムの時代では想像もできなかったような問題がたくさんあらわれてきているのだと思います。その意味では、僕らはまだ、巨大に膨れ上がってしまった、前時代の海の中にいる段階だと思います。その巨大なリアリティの海のなかで、ぼくらは、それをどのように乗りこなし、表面にあらわれてきた地球規模の矛盾を新しい方法で結びつけて、新しい次元の世界をつくりだしていけるかが試されているのだと思っています。

ゆるやかにかわっていく社会と建築

革命というものが、世の中のシステムを書き換えることで実行できた時代もあったように思いますが、今の時代を考えると、世の中のシステム自体が巨大なリアリティの海の中でどのようになっているのかが、わからなくなってしまっているように思います。複雑に絡み合うリアリティのなかで、どこを変えれば、どこがどのように変わるかということは、だれも断言できないのだと思います。そのような状態で、新しいものはどのように現われてくるかを想像すると、強いアイデアやコンセプトというのはあまり、通用しないように思います。強いアイデアをいかに弱めるか、いかにその強いアイデアを薄く広くしていけるか、その上で、その提案の強度が落ちないようにすることが重要なのではないかと思っています。なにかを「破壊(否定)」して新しいものをつくりだすよりは、今の状況を前提としてできるだけ、ひろく「浸透」させられることで強度をもつのだと思っています。だから、革命のようにある日突然、前の世の中のシステムが捨てられて、新しいシステムに書き換えられて、その日から世界が変わるというのとは、違う変革の仕方になるのではと思います。たとえば、ある日突然気付いたら、世の中がいつの間にかかわっていた、というような感じかなと思います。季節の変化のような変化の仕方です。

──話しは変わりますが、古いものに興味があるとお聞きしましたが、それはどのような観点からでしょうか

新しいものと古いものとを分けるという視点を外したところで、なにか新鮮なものを作っていきたいという思いがあります。矛盾しているように思われるかもしれませんが、ぼくは古いものを否定せず新しいものを作っていきたいと思っています。新しいものと古いものを区別すること自体が、なにか批評性を帯びていると思うし、なにかをベースになるものを前提としなければ成り立たない区別だと思います。価値観やリアリティが無数に存在する現代のなかで、そのような区別はあまり意味を成さないというように思います。新しいとか古いとかそういう概念をこえたところに、新鮮なものが必要なのだと思っています。古いものがもっているよさというのは、当然あって、それは、僕らを取り巻く「環境」に近いものだと思っています。そこには、僕らだけでは、つくりだせない膨大な情報量のうえで成り立っている、とても自然な世界があるように思います。その膨大な情報を単に切り捨てるのは、すこし、もったいないように思うのです。また、建築を考えていく時に、建築とそれを取り巻く環境のどこにボーダーラインを引くかということも考えなければならないと思っています。そのボーダーラインの位置そのものを考えるところから設計していくということは、つまり、新しいもの、古いものという状態を、まずは取り払って考えなければならないと思っています。

──では植物も古いものも環境という意味では石上さんのなかでは一緒ということでしょうか

そうですね。僕の中では同じように大切な環境の一部です。

──石上さんが植物と建築を同じように考えて、同じスケール感の中で展開するというのも、石上さんはそれを小さな環境をつくるとおっしゃっていましたが、僕はそれにファンタジー性も感じるのですが、今の時代逆にそのことがもの凄くリアリティがある気がします

ぼくは、提案そのものが、だれにでも想像できて誰にでも理解できることが重要だと思っています。たとえ、その提案がとても専門的で、実現させる方法が難解だとしても、だれにでも、身近なものとして感じてもらえることが大事かなと思っています。そういうところで、ファンタジーと感じられるのかもしれないけれど、僕自身は、あまり、ファンタジーのようなものは意識していないように思います。
僕が使う環境という言葉には、単に環境問題で使うような意味合いだけではなく、古いものや、人工環境、その他、僕らを取り巻くものを分け隔てなく扱いたいと思っています。そういうところから、たとえば、植物であることとか、建築であることなどをどのようにしたら同じレベルで考えていけるかと思っています。それが、建築についての根本的な部分を追求することにつながっていくと思っているからです。

石上純也
1974年生まれ
2000年 東京芸術大学大学院修了
2000年~2004年 妹島建築設計事務所勤務
2004年 石上純也建築設計事務所設立