Vol.1 藤村 龍至 インタビュー

Vol.1 藤村 龍至 インタビュー

OPENERS的ニッポンの若手建築家

Vol.1 藤村龍至インタビュー

都市へ、そして風景を超えて──

「批判的工学主義」と「超線形設計プロセス」いうふたつの建築家としての思想を軸に、自身の考え方を提唱することによって、建築界の内側に議論を生み出している藤村龍至氏。自作である高円寺にある集合住宅BUILDING Kにて話をうかがった。

インタビュアー、まとめ=加藤孝司

──建築との出会いを聞かせてください

もともと都市計画に興味がありました。父の出身が神戸で、小さい頃はよく行っていたのですが、当時の神戸は須磨ニュータウン(六甲山脈西部の丘陵地域にあたる)とポートアイランド(港湾の人工島)の開発の最中でした。丘陵地の開発で発生した土砂をベルトコンベアーで海まで運び埋め立てに使い、山と海を繋ぐトンネルを開発が終わったあとで下水道に使う、という一石三鳥の開発手法は、当時の神戸市長である原口忠次郎さん(1949年から20年間在任)のアイデアだときいたんです。原口市長は政治家であり同時に工学博士でもあったという人で、政治と工学の交点というところで建築とか都市計画に興味をもちはじめました。

──ではそういった開発的な風景が、藤村さんのなかでは原風景になっていると

そうですね。私はまさに80年代のニュータウン開発とともに育った世代です。それでも街の中心部に行くと蔵造りの町並みなどが残っていて、多少歴史と繋がっているような感覚があったのですが、私が高校生くらいの頃から別の開発が始まって、今ではもうタワーマンションが並ぶ郊外的で希薄な街になってしまいました。

──1990年くらいですよね。都心も含めて風景が劇的に変わっていった時期ですね

そうですね。そういう状況で、神戸の街には東京近郊のニュータウンにはない都市的な空気があったので、ずっと憧れがありました。

客観的BUILDING K

BUILDING Kはごくジェネリックな都市型のビルなんですけれども、設備計画を中心に発想したのが特徴です。都市型のビルでは、屋上であろうと外溝であろうと、外部空間が設備機器のために犠牲になっていることが多いのですが、ここでは設備スペースを集約させることで屋上や外構などの外部空間を生活の場として取り戻せるのではないかと考えました。

──五階部分にあたる屋上庭園が、高円寺の細い路地のある街並みに接続しているようで、地域性とともに開放感を感じました。

環境となじませるということも、大事なテーマでした。あの屋上の空間は、コミュニティのための場にもなるし、建築が古くなっても時代を超えて残って行く建築の価値に繋がる部分だと思います。

──それは藤村さんが提唱していらっしゃる「超線形設計プロセス」から生まれてきたものですよね? 具体的に超線形設計プロセスとはどのようなものなんでしょうか

「超線形プロセス」というのは、簡単にいえば最初にゴールのイメージを描かずに、ひとつ模型をつくるたびに、何かをひとつだけ修正する、という作業を無数に繰り返すようなフィードバック型の設計方法です。設備計画や環境との関係というテーマは、そういうプロセスを踏みながら設計しているうちに自然と生まれてきました。

──ゴールをイメージしないというところが、藤村さんらしい気がしました

フィードバック型の設計プロセスを導入すると、施主やエンジニアを含めてチームで話し合ったことをそのまま積み上げていけるので、条件を正確に読めるようになりますし、同時に自分のなかにない意外な形も出てきますね。

──そうなるとちょっと気になるのが、最終形はいつどのように藤村さんのなかで決まるのか。それには時間や予算なども関係してくるのかもしれませんが

区切りをつけるポイントはふたつあります。条件の洗い出しが終わる「検索過程」と、そこで固まった演算式に変数を次々と代入して調整する「比較過程」です。最終的なプロセスをどう止めるかというのは難しいのですが、関係者が出揃ってそれぞれの問題が吐き出されたと感じるときですかね。

──あらゆる条件が加味されていって、必然的に止まるってこともあるのでしょうか

そうですね。どちらかというと、社会関係ですね。利害関係が調停された時、というか(笑)。

──藤村さんは非常に社会性のある建築家だと思うのですが、たとえば東京という街の現状を考えたときに、建築家一個人ではどうにも出来ない状況もあるなかで、空想の世界に逃げずにいかにその問題に正面から向き合うか? ということに真剣に取り組んでいる方だと僕は思うんですね。一見無機質にみえるのですがヒューマンスケールで建築を考えているのかなと

現実を信じる態度というのはすごく大事だと思っています。周りの環境がそれほど良くないというときに、それをなかったことにするというのではなくて、現実に潜む可能性を活かすような建築をつくりたいんです。

──それは何か影響などはあったりしたんですか?

都市に対する態度というのは、学生時代の先生であった塚本由晴さんとか、オランダに留学していた当時の教育の影響ではないかと思っています。都市のリサーチをして、そこから建築のかたちを考えるというアプローチは、環境との関係に意識的なヨーロッパやアメリカでは主流の考え方だと思いますが、今の日本では残念ながらあまり見られません。

批判的工学主義とは?

──でも同世代の建築家の方々や、都市を研究している社会学者の方、ジャーナリズムを巻き込みながら、それがやや閉塞感のある都市問題を建築家の視点から変えていってくれそうな予感を、藤村さんはもっていらっしゃる気がしています。たとえば60年代に丹下さんや黒川さんがされていたことや、黒川さんが晩年、政治に接続しょうとしていたことを含めてどのように考えていますか

建築家が社会と接続するというときに幾つかやり方があると思います。ひとつはコンセプトを提示すること。次にマスメディアと接続すること。そして政治的な活動をすること。それは年齢でいえばだいたい30代、40代、50代に対応していると思います。建築家としてのキャリアを重ねていくことによって社会との接続しかたは変わっていくと思うんです。その意味で黒川紀章さんが晩年にああやって政治に接続していこうとしたことは非常によく分かる話です。

──いずれ藤村さんも……?

最終的な勝負は、政治的なレベルでどのようなアクションを起こせるかだと考えていますが、それは30代の今やることではないと思っています。今一番大事なことはコンセプトを提示することです。

──そこでですが藤村さんのマニフェスト的な「批判的工学主義」について教えていただけますか

「批判的工学主義」は同世代の建築家である柄沢祐輔さん、社会学者である南後由和さんと一緒に提唱しているコンセプトです。技術依存や専門分化が進んだ1990年代以降の現代社会では量とスピードが求められ、建築家が不要と言われるようになりましたが、そのままではインフラの上で見せかけの表層と戯れるしかなくなってしまうのではないか、という問題意識があります。そういった状況を、単純に否定するのでも肯定するわけでもなく、批判的に乗り越えることを呼びかけたいと考えています。
さきほど申し上げたように私は郊外のニュータウンで育ったので、都市が開発されていくなかで生活の経験というものがどんどん希薄になっていったという感覚を持っています。都市空間の濃密さが失われていく過程ではあまり気づかなかったんですが、失ったものがあまりにも大きかったということが明らかになったのは2000年代以降だと思います。その問題意識を同世代の建築家たちとまず共有したい。

──手応えは感じますか?

ありますね。僕たちのフリーペーパー『ROUND ABOUT JOURNAL』の一部は知り合いの編集者の方々や、ネットで応募して下さった方に直接お送りしています。はじめはそれほど反応がなくても、だんだんと浸透していくんですよね。建築ジャーナリズムの閉鎖性を逆に使うという戦略です。「批判的工学主義」についても、最初の波風としては些細なものだと思うのですが、継続してやっていくと『10+1』や『JA』などの専門誌、建築学会の機関誌である『建築雑誌』などを通じてアトリエ系の建築家だけでなく、組織・ゼネコン系の建築家、研究者、社会学者などへと徐々に議論が広がってきています。

──建築というものは、街に対して圧倒的な強い力で建ちあらわれてきますが、そういった意味で建築家の責任のようなものは感じますか?

街にあらわれる建築は、結局いつかどこかの建築家が設計したものです。その意味で、それぞれの時代の建築家たちがどういう思想を共有しているかが重要だと思います。

──批判的工学主義の考え方でどんどん建築がつくっていけるということでしょうか

そうですね。それは個人的な主張というよりも、現代の建築家の取り得るスタンスとして提示しているつもりです。工業デザインの柳宗理が工業化社会におけるデザイナーのスタンスとして「アノニマス・デザイン」を主張したのと同じで、情報化社会におけるバナキュラーをどうデザインできるか、ということに興味があります。

──外部空間に対して内部空間というのは、藤村さんにとってどのような位置付けにありますか?

いわゆる身体感覚というのは個人的なもので、自分の設計した建物にも内部空間では自然と出てきていると思います。それがないと建築は単なるシステムになってしまいますから。

──いずれ都市をデザインしてみたいという思いもありますか?

ありますね。「都市に濃密さを取り戻す」と提言しているからには、最終的に都市の政治的なプロセスにまで踏み込みたい、と思っています。理論や方法論を提示したり、メディアを展開したりしているのは、そのためのプロセスだと考えています。

藤村龍至

1976年 東京生まれ。
2000年 東京工業大学工学部社会工学科卒業。
2002年 東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了。
2002年~2003年 ベルラーへ・インスティテュ-ト(オランダ)
2005年 藤村龍至建築設計事務所設立。