祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.29 黒木理也さん
FASHION / MEN
2017年9月7日

祐真朋樹・編集大魔王対談|vol.29 黒木理也さん

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今回、編集大魔王が対談相手にお迎えしたのは、MAISON KITSUNÉ(メゾン キツネ)共同設立者でクリエイティブディレクターの黒木理也さん。プロデュースを手掛けたオーストラリア出身のバンド「パーセルズ」の話から自身のブランドやカフェの話、今後予定していることまで、先日オープン1周年を迎えたメゾン キツネ代官山で伺いました。

Interview by SUKEZANE TomokiPhotographs by SATO YukiText by HATAKEYAMA Satoko

ダフトパンクとプロデュースしたバイロンベイ発の「パーセルズ」とは?

祐真朋樹・編集大魔王(以下、祐真) 今日はまず音楽の話から聞かせてください。ダフトパンクがプロデュースを手掛けて、KITSUNÉのレーベルから曲をリリースしたオーストラリア出身の「パーセルズ」が話題です。こういうことは以前からやっていたことなんですか?

黒木理也さん(以下、マサヤ) いや、今回が初めてです。ジルダ(・ロアエック)とレーベルを持って15年。いろんなアーティストをプロデュースしてきた中で、いつかはバンドをプロデュースしてみたいという気持ちは常にあったんです。いろんなところでアンテナを張っていた中で見つけた今回のパーセルズは、オーストラリアのバイロンベイというところで活動していたんですよ。

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祐真 バイロンベイといえばキレイな海が有名で、どちらかというとサーファーのメッカというイメージですよね。しかしまた、どうやって見つけたんですか?

マサヤ バイロンベイという場所は、数年前にDJとしてオーストラリアへツアーで行った時に、二日間ぐらいデイオフしてすごく気に入った場所でもあるんです。それで、バイロンベイ出身だというパーセルズからたまたまデモが送られてきたので「へえ」と思いながらジルダと聴いてみたらビックリ。「この若さでこれはすごい」となったわけです。当時の彼らは18歳のサーファー仲良し5人組で、ブロンドのロン毛で70年代の古着を着ているような若者たち。音もL.A.とかで普通にラジオをつけるとFMから流れているようなポップな感じで、少し磨いてプロデュースすれば、どんどん育っていくんじゃないかという可能性を感じたんです。そこからレーベルとして今までなかったぐらいに力を入れて、僕とジルダは彼らのマネージメントの方向性まで全てを考えたほど。それで、曲も出来上がってプロモートしたら、すぐにラジオもオンエアしてくれたし、フェスのブッキングも早いし、ライブショーもトントン拍子に決まったという具合です。

祐真 ジルダと2人で「すごい!」と感じたということは、彼らの音というのはかなり新しい感じだったんですか?

マサヤ 今までにないファンクな感じでした。音の響きは新しいけれど、メロディは古い。若い子から大人までみんながいいと感じられる音楽、言い換えれば“ニューヴィンテージ”のようなフレッシュさを持っていたんです。そして、パリで彼らをお披露目した時に、ダフトパンクの二人がちょうど来ていて、2曲目あたりでトーマ(・バンガルテル)がジルダに「このバンドとスタジオに行けるか?」っていきなりオファーしてきたというわけで。

祐真 ダフトパンクがいきなりそう言ってくるというのはすごいですね(笑)。

マサヤ こちらも「え?」という感じ(笑)。とりあえず彼らのライブが終わるまで観てもらって、ライブが終わった時点でバックステージに連れて行ったんです。ダフトパンクが会いたがっているということをパーセルズに伝えたら、いきなり固まってしまって、「スタジオに一緒に行きたいと言っているから、今から会う?」と聞いた瞬間、メンバー5人とも「えぇぇぇ~~~!」となって(笑)。

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祐真 そりゃあ、そうなりますよね。びっくりしている情景が目に浮かぶ(笑)。

マサヤ 世界的にも有名なアーティストが若いバンドに何かを感じて一緒にスタジオに行くっていうのは、考えればシンプルなこと。アーティスト同士のフィーリングで何かを生み出す、これが本来の姿なのだとも思いましたね。そしてダフトパンクのプロデュースで半年かかってできたのが、先月リリースした「オーバーナイト」という楽曲です。そこからはインスタグラムとかのSNSのおかげもあって、嬉しいことに結構知られるようになったんです。

Page02. メゾン キツネ代官山オープンから一年。今後の展望は?

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メゾン キツネ代官山オープンから一年。今後の展望は?

祐真 いいストーリーですね。彼らは何歳ぐらいなんですか。

マサヤ リーダーが23歳で、他は20〜21歳。デモを送ってきた当時は、キーボードの子なんて17歳でしたからね。今はベルリンに住んでいて(写真を見せて)こんな感じですよ。ヴィジュアルもいいし、みんなイケメン!

祐真 ファッションにしても、ニューヴィンテージを彷彿とさせていて、いいですね。ちなみに、KITSUNÉのレーベルに所属しているアーティストたちは、みんなメゾン キツネを着ているわけではないでしょう?

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マサヤ 「これが欲しい」と言われたら店でディスカウントしますけれど、もちろん強制はしていないです。アーティストは、生き方や環境、着る服すべてが彼らのスタイル。パーセルズも来日した時は毎日ヴィンテージショップに行って、寝ていないですからね。今の時代はオンタイムで情報を得られるけれど、彼らは過去のものを見て着て感じて、逆に時間をさかのぼる。機材にしてもあえて古い音を出すものを探して使ったりしているんです。だから、古着をひととおり見た後は、渋谷とか新宿にある古い楽器屋さんに行っていましたよ。モダンな東京は何も見ずに(笑)。

祐真 面白い! そもそも、オーストラリアの若者たちっていうのが珍しい。欧米からするとかなり遠いし、カルチャーも違う。でも、そういうところに埋もれている才能は、探せばあるはずですよね。

マサヤ もちろんあると思うし、発想にしても僕らにないユニークさを持っている。環境が変われば思考も変わるというのは、絶対にあると思います。

祐真 僕も一時期ゴールドコーストにハマって、3年ぐらい年末年始に通っていたんですよ。直行便がなくなって行かなくなったんですけど、居心地がいいし、人もすごくいい。

マサヤ みんなフレンドリーで、フェスでもハッピーで一日中ハグしている感じですよね。それと、ストリートでも東京では絶対に見られないようなスタイルをしているのが面白い。オージーならではのスタイルというか、スキニージーンズをぼろぼろにして穿いているし、VANSを履いているカルチャーも長い。何よりも蛍光カラーを世界で一番可愛く着るキッズたちがいる。

祐真 蛍光色は積極的に着ているイメージがありますよね。ゴールドコーストなんてアディダスしかなかったりして。しかも、オシャレなアディダスじゃなくて、リアルアディダス。もしくはビラボン。でも着てみたら「ビラボン、いいじゃん!」ってなって、それを着てバーベキューをしてました(笑)。

マサヤ グローバルに響いていないスタイルで、トレンドの波の中にも入り込んでいないプロダクトを着てバーベキューなんて、かなりの開放感がありそう(笑)。オーストラリアは何よりも時差がないのがいい。僕も日本にいることになったことだし、これからもっとオーストラリアに行こうかなと思っています。

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祐真 じゃあ、そろそろ服の話をしましょうか。代官山にメゾン キツネの店ができて一年。手応えはどうですか。

マサヤ 嬉しいことに順調に行っています。なかでも、外国からの観光客が、代官山店の空間を写真に撮って、SNSとかでシェアしてくれているのを見ると本当に嬉しい。従来の和のスタイルを崩して、自分が発想するモダンな和の空間にこだわったわけだから、そういう反応は素直に喜ばしいことですよね。

祐真 代官山の店は、改装前のホテルオークラへのオマージュでもあるんですよね。

マサヤ 一階は特にそうです。壁やライティングもそうだし、オープンした時にオークラのロビーにインスパイアされた椅子を置いたほど。和のカッコよさをもっと海外の人にも見てもらいたいという、今までなかった気持ちが出てきたのかもしれないですね。小さい頃から外国に出て、10代はヨーロッパで育って、その後ニューヨークに住んで、今は日本在住。和のカルチャーと適度な距離感があったからこそ、こういう空間を作る発想が出てきたんだとも思っています。

祐真 マサヤくんのバックグラウンドであれば、そういうものは必然的に出てくるでしょうね。それと、9月にはニューヨークにお店ができると聞きましたけど。
 
マサヤ そうなんです。ニューヨークファッションウィークに合わせて、ソーホーでレビューします。「ちょっと無理し過ぎじゃないの」とも言われましたけど、できる時にやらないと。それと、10月には京都に直営店がオープンしますよ。140年の歴史がある……

祐真 藤井大丸! 僕は、藤井大丸で中学生の時にファッションデビューしていますからね(笑)。

マサヤ じゃあオープニングの時には、DJをお願いします(笑)。メゾン キツネが関西でデビューする時は京都と決めていたんです。将来的には、大阪にも神戸にもオープンしたいけれど、まずは京都。京都の人って新しいものに対して常に敏感だし、センスもトンがっている。自分たちのように、コーヒー屋さんをやって音楽のレーベルを持って、さらに洋服もやっているっていうタイプの人間は、果たして受け入れられるのかなと思っていたけれど好感触で。だから今はしょっちゅう行っています。京都、おしゃれですよね。

祐真 京都のいいとこ、教えてくださいよ(笑)。今回は久々に会いましたけれど、マサヤくんはいつも精力的に動き続けてますよね。オージーの若い子たちと曲を作って、お店をオープンさせて、世界中をいろいろ飛び回っていて楽しそう。さらに、それらは全部マサヤくんじゃなきゃできないこともであるわけだし。

マサヤ やっている僕自身がすごく楽しいし、楽しくないとやれないと思う。それに、みんなは僕よりもリアリストなんだと思う。自分は現実味がないほうだから(笑)。

祐真 外に発信していけるっていうのが強みですよね。日本にはいいものがいっぱいあるけれど、いいカタチで外に出していけるのは必ずしも得意じゃない。感性の豊かな時期をヨーロッパで過ごしていた、マサヤくんならではなんでしょうね。

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自分たちの生活スタイルをそのままビジネスにつなげていきたい

マサヤ 確かにヨーロッパでは「発想力」とか「表現力」というのがないと進まないというのはありますね。特にフランスはそういう哲学が濃厚です。

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僕はそこから18歳でニューヨークに行っていろんな人に出会って、ストリートで遊んでいた人たちからも多くの影響を受けました。当時一緒に公園でハングアウトしていた人たちは今もどこかでピースに生きていると思うけれど、みんな本当のアーティストだったし、彼らのように楽しく生きることは何よりも大切だと思っています。若い世代には「もっと暴れろ」と勧めるわけじゃないれど、もう少し覇気を持ってほしいかな。

祐真 いろんなことに関心を持たないといけないですよね。みんなと同じことをしていたら何も生まれない。

マサヤ 僕が育ったフランスはミックスカルチャーの坩堝だし、アジアもそういう風になってきていると思います。そういう混沌が当たり前と思うような子たちがまた次のジェネレーションを作ると思うし。そのハシゴ役に自分もなれたらいいなと。

祐真 これからもどんどんやってくださいよ。音楽レーベル、コーヒー屋さん、服のブランドときたら、次のステージでは、リゾート?ホテルですか?

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マサヤ そうですね。せっかく始めたのだから、できることは何でもやりたいと思います。昔から言っているけれど、憧れはラルフ ローレン。彼は自身の生活スタイルをそのままブランドにした人で、次の世代にも継いでいけるようなブランディングをした人。そして僕やジルダも、気づけば生活のスタイルがビジネスになっている。ありがたいことに、リゾートとかホテルとかのオファーもあるので、可能であればトライしていきたいと思います。やりたいことが多すぎて、時間が足らない。そして、みんなもっと楽しんでほしいですね。

祐真 そう、楽しむことが一番ですよ。今日はどうもありがとうございました。

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黒木理也|KUROKI Masaya
12歳からパリに在住し、建築の国家資格を取得。2002年、ジルダ・ロアエックとともに「KITSUNÉ(キツネ)」をスタート。音楽活動を中心に活動を始め、05年には初のコレクションを発表。08年パリに初の直営店をオープン。10年秋冬シーズンから名称を「MAISON KITSUNÉ(メゾン キツネ)」に改める。12年にはNYに、13年には東京・青山にカフェを併設したショップを、16年には東京・代官山に直営店をオープンした。

           
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