連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第13回『パターソン』
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2018年10月16日

連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第13回『パターソン』

連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ

第13回 日常に宿る美を見出す男
『パターソン』

想像力とは何だろう。創造性とはどこから来るのだろう。それらは必ずしも、刺激的な非日常から生まれるのではない。“退屈”の代名詞ともされる、日常やルーティンワーク。そこからインスピレーションを得る人々もいる。

Text by MAKIGUCHI June

ルーティンが際立たせる、“わずかな変化”という喜びを

数年前に、哲学研究者である内田樹氏が某誌に寄稿したコラムによると、カントはケニヒスベルク大学で教鞭をとっていたとき、毎日同じ時間に散歩をしていたという。それがあまりにも正確なので、街の人々は彼の姿を見て、自宅の時計の時刻を合わせたのだそうだ。内田氏によれば、これは哲学者としていかにもありそうなことらしい。つまり、「ルーティンの中に身を置いていると、わずかな変化が際立つから」だという。彼は同じコラム内で、村上春樹氏がランニングを続けている理由を、生活にリズムを作り、習慣を変えないためであり、「他を変えないことによって、変わったものを際立たせようとする、作家的なプロ意識のなせるわざ」ではないかと考察していて、非常に興味深かった。

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ジム・ジャームッシュ監督もきっと、日常の繰り返しに宿る美を愛おしむ者の一人だ。それでなければ、新作『パターソン』のような作品は生まれはしない。

主人公は、ニュージャージー州パターソンに暮らす、バスの運転手パターソン。毎朝、美しい妻ローラの隣で目覚め、たいてい一人で朝食をとり、職場であるバスの車庫まで歩き、同じルートのバスを運転する。彼にとっての喜びは、街を眺め、その変化に気づき、乗客の会話に耳を傾けて微笑み、ランチタイムに一人静かに秘密のノートに詩を書きとめることだ。帰宅後は、ローラと夕食をとり、愛犬を散歩に連れ出し、その途中にあるバーでビールを一杯。彼の日々は、ほぼこの繰り返しだ。

それは、自分という軸をしっかりと持ったパターソンの周囲を、世界がゆっくり周っているという印象だ。ただ淡々と日々、自分の内側に気づきの種をまく。それが日常なのだとしたら、インスピレーションの源は自分次第でどこにでも見つけることができるということだろう。

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彼の詩の題材は、とても身近なことだ。例えば、家にあるマッチ箱。それでさえ、彼の心を動かす大切な日常なのだ。パターソンの姿を見つめていると、めまぐるしく変わりゆく世界の中で、変わらないことの幸せ、ささやかなことで満たされる豊かな心のありがたさをひしひしと感じることができる。

非日常や強い刺激からではなく、日常に宿る美による喜びを感受できる才能を、とても羨ましく思う。彼は世界に見出されていないだけで、生粋の芸術家なのだ。彼が創作活動を行うのは、人に才能を自慢するためでもなく、評価されるためでもなく、ただ思いが湧き出てくるからにすぎない。もしかするとパターソンという男は、名も無き人を好んで描き、愛に満ちた視点で見つめ続けてきたジャームッシュ監督の分身なのもしれない。

特に事件が起きるわけでもなく、大きな変化が生まれるわけでもないパターソンの日常。
それを描いた本作を観終わった後は、爽快感とも、感動とも違う、何とも言えない多幸感に満たされる。そう、こういった素晴らしい作品に出会ったという日常的な幸せこそ、この映画が描き出している喜びのひとつなのだろう。

★★★★☆
ジャームッシュ作品に27年ぶりの出演を果たした永瀬正敏、パルムドッグ賞受賞のブルドッグのネリーにも注目。

『パターソン』
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ、永瀬正敏、ほか
配給: ロングライド
8月26日(土)、 ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
Photo by Mary Cybulski ©2016 Inkjet Inc. All Rights Reserved.

http://paterson-movie.com

牧口じゅん|MAKIGUCHI June
共同通信社、映画祭事務局、雑誌編集を経て独立。スクリーン中のファッションや食、音楽など、 ライフスタイルにまつわる話題を盛り込んだ映画コラム、インタビュー記事を女性誌、男性誌にて執筆中。

           
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