連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第10回『たかが世界の終わり』
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2018年10月16日

連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第10回『たかが世界の終わり』

連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ

第10回 深い孤独を知る者たちへ
『たかが世界の終わり』(1)

人生の中で、最も深い絶望とは何だろう。どうしようもなく孤独であるということを、痛いほど思い知らされることかもしれない。それは、人は所詮ひとりぼっちであるというレベルの話ではなく、愛すべき存在と分かり合えないことが決定的になるという孤独だ。そんな孤独を描いたフランス映画『たかが世界の終わり』は、幸せだけを見つめていたい人には、果てしなくやりきれない物語だと感じるかもしれない。だが、それだけで終わらないのが、監督であるグザヴィエ・ドランの才能だ。

Text by MAKIGUCHI June

12年ぶりの帰郷の理由

あなたにとって家族とは、どんな存在だろう。愛し合い、理解し合い、甘えることができて、喜びを分かち合えることが当たり前の存在なのだとしたら、それはとても幸せなことだ。本作は、そんな当たり前と思われる幸運に恵まれなかった人々にしか分からない深い闇、深い孤独を描いた作品だ。

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人気劇作家として成功した34歳のルイは、12年ぶりに故郷に降り立つ。自らの余命がわずかなことを、疎遠となった家族に伝えるためだ。母は久しぶりに会う息子のために料理を用意し、とびきりのお洒落をして待っている。幼くして別れた妹は、自慢の兄に自分の話を聞いてもらいたくてたまらない。一方、長兄はそっけない。弟が初めて会う兄嫁との会話にも邪魔をする始末だ。

何がきっかけで主人公が家を出て、12年も戻らなかったのかは劇中で深くは語られない。だが、彼を迎えた家族の様子から徐々にそれが観客にも理解できるようになってくる。誰かが何かを言えば、長兄がバカにするか茶化すかして、すぐに修羅場となるのだ。そんな中でもルイは幾度となくチャンスを見つけ、自分の死が近いことを告げようとする。だが、険悪なまま時が過ぎてしまう。

やがて観る者の心に、どこで、どのように、主人公がこの悲しすぎる話を切り出すのかが気になり始める。そして、失われた12年を皆が一様に後悔し、過ちから学び、瞬時にハッピーな家族に戻ることを期待し始める。涙が止まらない感動のエンディングを。

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だが、それはある種のおとぎ話だと言わんばかりに、物語は観客が期待した展開から、徐々に逸れ始める。そして私たちは息をのむのだ。この収集がつきそうもない状況で、ルイが選んだ幕引きに。エンディングに流れる歌が、悲しくも主人公の心情を見事に表現している。「どうしようもない深い孤独。あらがいようもないほどに」。

Page02. 愛があるがゆえの、悲劇。その先に。

連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ

第10回 深い孤独を知る者たちへ
『たかが世界の終わり』(2)

Text by MAKIGUCHI June

愛があるがゆえの、悲劇。その先に。

本作が素晴らしいのは、ある人には馴染みがあり、ある人には全く無縁の世界を、誠実に描き出していることだ。ハッピーなことだけを知りたいと言う人もいるかもしれないが、ある人々しか知らない深い闇や深い孤独を知ることにも意味はあるはずなのだ。それは昔から、文学が繰り返し行ってきたことでもある。ただ、悲劇すら悲劇で終わらせず、その先にある希望の光のようなものを描き続けるのが稀代のストーリーテラーたちが起こす奇跡なのだ。

分かり合えると期待を抱くたびに、何度も打ち砕かれてきたであろうルイにとって、家族と会うのは今回限りになるかもしれない。それでも挫けそうな彼に母親が語りかける。

「あなたを理解はできない。でも、愛している。この愛は誰にも奪えないわ」

この言葉が、ルイの家族の悲しい現実を見事に言い表している。人はぶつかり合い、削り合い、時には傷を埋め合える相手に出会えるが、ぶつかっただけ傷を残す関係もある。それは家族でもあり得るのだ。上手く愛を伝えられず、上手く愛を受け止められない。そんな不器用な人間たちだっている。だからといって、そこに愛がないわけではないのに。

ただ、愛があるがゆえに、いがみ合いは激しくなり、理解し合えない現実はより悲劇性を増す。家族とは、人間関係とは、共感だけではできていないのだ。血の繋がった者同士だからこそ、分かり合えて当然だ、慈しみ合ってしかるべきという社会の大前提があるがゆえに、その檻から抜け出せずに苦しむ者たちもいる。自分の世界が終わることよりずっと厳しい絶望というものが、この世にはあると知ってしまう者たちが。

こういった激しい不条理に彩られた本作は、観る者の胸を締め付ける。だが、そこから目を逸らさず繰り返し挑み続けるドラン監督の作家性は賞賛すべきものだ。特に快いエンディングが好まれる傾向にあるこの時代に、しっかり人間と向き合い、歓迎されにくい現実に光をあてようとする慈悲深さには敬意を表さずにはいられない。

だから、思いがけないエンディングは、ドランが用意した本当の“終わり”ではないのかもしれないとも考えてしまう。優れた文学が必ず問題を提起してきたように、本作もまたそうしているように感じられるすさまじい余韻が残るからだ。

それは、私が勝手に抱いた願望に過ぎないのかもしれない。エンディングのその先で、ルイが遺す“何か”が、家族に気づきという希望をもたらすことを切に願ってしまうのだ。ルイの深い悲しみという影によって、家族が、そして私たちが愛という光の尊さを再認識できるとしたら、ルイの、そして私たちの世界も決して捨てたものじゃないと信じられると思うから。

★★★★☆
フランスを代表する俳優たちが見せる、魂のぶつかり合いに脱帽。

『たかが世界の終わり』
監督・脚本 グザヴィエ・ドラン
出演 ギャスパー・ウリエル、ヴァンサン・カッセル、レア・セドゥ、マリオン・コティヤール、ナタリー・バイ、ほか
全国ロードショー中
©Shayne Laverdière, Sons of Manua

牧口じゅん|MAKIGUCHI June
共同通信社、映画祭事務局、雑誌編集を経て独立。スクリーン中のファッションや食、音楽など、 ライフスタイルにまつわる話題を盛り込んだ映画コラム、インタビュー記事を女性誌、男性誌にて執筆中。

           
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