特集|OPENERS的ニッポンの若手建築家 PARTII  Vol.5 アラキ+ササキアーキテクツ インタビュー

特集|OPENERS的ニッポンの若手建築家 PARTII  Vol.5  アラキ+ササキアーキテクツ インタビュー

OPENERS的ニッポンの若手建築家

Vol.5 アラキ+ササキアーキテクツ(1)

セルフビルドという設計手法

建築はつくるものではなく、大多数のひとにとって、買うものになって久しい。そこでは有名建築家に家を設計してもらうことが目的になり、その場所で誰とどのような暮らしをしたいのかといった生活本来の目的があとまわしになっている印象がある。荒木源希氏、佐々木高之氏、佐々木珠穂氏の3名によるアラキ+ササキアーキテクツ(A+Sa)は、デザインスタディとしてのセルフビルドを設計理念に、デザインを頭で考えるだけでなく、実際に手を動かし手で思考することを大切にしている建築家グループだ。ユーザーとともに建築について考えつくるという、設計者の手の内をみせることをいとわず、修辞なき建築を目指す彼らに、その設計手法について聞いた。

インタビュアー、まとめ=加藤孝司

手をつかい、自ら構築すること

──3人の出会いをおしえてください。

佐々木高之 3人とも大学の同級生で、それ以来の付き合いになります。そもそも40人しかいないクラスだったので、いまでもほぼ全員仲がよいのですが。

佐々木珠穂 私は学生時代はそれほどふたりのことをよく知っていたわけではありませんでした。

荒木源希 僕と佐々木は入学当初から仲がよくて、一緒に海外に建築を見に行ったこともあります。

佐々木 大学に入って1ヵ月もしないうちに荒木が僕の家に住みつきはじめたんです(笑)。

──大学に入って建築を専門に学ばれたんですね。

佐々木 そうです。都立大学の建築学科というところで建築を専門に学びました。2年生に進学する前の1ヵ月間、荒木と一緒に海外に建築を見にでかけました。

──そのときはどちらにいかれたのですか?

荒木 フランス、イタリア、スペインを中心にヨーロッパをまわりました。

──この建築は絶対にみたいという目的はあったのですか。

佐々木 そのときは建築にかんしてあまり自分の好みというのはなかった時期なので、とりあえず有名な現代建築をひたすら見てまわりました。

──周辺環境をふくめた敷地の条件など、建築が環境のなかでどのように建っているのかなど、実証的に見るわけですね。

荒木 建築もそうですが、町の空気感をふくめて、実際にそこに身をおいてみないとわからない感覚はありましたね。

佐々木 当時はまだ本格的に建築の勉強をしていない時期だったので、建築を分析的な目線で見ることはできていませんでしたが、あのとき本物に触れて単純に感動することができただけでもよかったかな、と思います。

荒木 佐々木たちは大学卒業後にふたりでロンドンに留学していたから、そっちのほうが記憶にあるんじゃないですか。でも僕はいまでもヨーロッパの空気感とかを思い出して、たまに行きたくなることがあります。

佐々木 僕はそのときスペインのバルセロナでガウディの建築を見て感動した記憶があります。大学4年になって、荒木が構法系の深尾研、僕が意匠系の小泉研、珠穂が計画系の上野研と、3人ともちがう研究室に入りました。それぞれ建築の設計をする研究室ではあるのですが、異なる分野で学びました。

──そのころから将来は3人で一緒に設計事務所をやろうというビジョンはあったのでしょうか?

荒木 当時はまったくそんなことは考えていませんでした。ですので、3人別々の専門分野に進んだのも本当に偶然でした。

──そう考えると、この3人でというのもなんだか不思議な縁ですね。

佐々木 それで僕と珠穂がイギリスからもどり独立した当初は、僕ら夫婦でササキアーキテクツを開き、荒木は荒木源希建築設計として半年ほど活動していました。最初はコンペを3人でやって、そのときにお互い考え方が近いことがわかり、その後、正式にアラキ+ササキアーキテクツ一級建築設計事務所(A+Sa)を結成しました。

珠穂 アラキ+ササキアーキテクツをはじめる前に、展覧会の会場をつくる仕事を一緒にやりました。そのときはまだ自分たちでは施工をやっていなかったのですが、見積もりを出してみたら思ったよりも高くて……。でも、予算内でおさめてもつまらないものしかできない。それでソファだけは自分たちでつくろうと決めたのですが、そんなときに施工が得意な大学時代の親友である荒木のことが思い浮かび、声をかけたのが最初です。

──そのとき、荒木さんは何をされていたのですか?

荒木 そのときはちょうどふらふらしていた時期です。

佐々木 僕がイギリスから日本にもどって入所したNAP建築設計事務所(建築家 中村拓志氏の設計事務所)を辞めたときに、荒木もちょうど前職であったアーキテクトカフェ(建築家 田井幹夫氏の設計事務所)を辞めていて、沖縄の設計事務所で働いたりしていたときだったと思います。そのとき実際に荒木と一緒につくったものがよかったので、試しに3人でコンペに挑戦した経緯があります。珠穂と僕は大学を卒業してから2年間、イーストロンドン大学大学院にふたりで留学しました。そこの教育方針が「手を使ったモノの構築」というものだったのですが、それは現在のA+Saの設計手法につうじる考え方です。

若手建築家|A+Sa 02

ハウジング・フィジックス・デザイン展(2008年)

若手建築家|A+Sa 03

ハウジング・フィジックス・デザイン展(2008年)

イギリスで出会った、あたらしい気づき

──イギリスで考えたことは、現在のA+Saの設計手法に大きな影響をあたえているわけですね。

珠穂 そうですね。設計手法だけでなく、事務所のあり方みたいなものに大きな影響をあたえています。日本のアトリエ設計事務所とヨーロッパのそれには大きなちがいがあって、たとえば時間の使い方ひとつとっても、ロンドンの設計事務所は勤務時間がきちんと決まっていて、残業はほとんどありません。かといって仕事が前に進まないということもなく、それなら日本でもおなじようなことができるのではないかと現場で感じました。

──それはイギリス人と日本人の自主性みたいなもののちがいでしょうか?

佐々木 そうですね。むこうはいい意味で放任主義です。大学も入るのは簡単ですが、出るのが難しくて、日本のようにとりあえず頑張って入ってしまえば、卒業するのは比較的簡単というのとはまるでちがいます。自分から積極的に学び、それを活かすという姿勢がなければ卒業はできません。

荒木 ふたりがロンドンから帰ってきてから聞いた、留学先での話はやはり魅力的だったし、ふたりが熱く話す、設計手法や素材の話は大学時代からふたりを知っている僕からは意外なことでした。

──素材の話がですか?

荒木 そうです。僕は大学時代からデザインだけでなく、素材や構法にも興味がありました。どちらかというと大学時代のふたりは手を使って考えるという設計手法ではなく、よりデザイン性を重視したポップな方向性を思考していましたから。それと、海外の大学の設計教育に、素材を手で扱いながら、手で考えるようなことがあるのを知って驚きました。

佐々木 素材や、手で考えるという点でいえば、荒木のほうがもともと好きで得意な分野でした。

荒木 もとから仲はよかったのですが、社会に出て一緒に何かをやろうとなったときも、設計手法の面でも共有できるようになったことが、事務所を一緒にやる大きなきっかけになりました。

──現在一緒に設計事務所を営んでいるのも、設計手法の面で共有できる考えがあったからですね。

佐々木 設計に対する考え方が近いというのが、一緒にやりはじめた最大の理由ですね。

珠穂 さらに、得意分野がそれぞれちがうからという点もありました。

──建築をどう考えるかという根本的なところについて、ちょうど3人のバランスがうまくあったということですね。

荒木 当時のことを知る先輩には、僕ら3人の組み合わせでうまくいくのかと、いまでも心配されます。それくらい学生当時の僕らは設計の面では指向がまったくちがっていました。佐々木たちがロンドンで学んできたことはとても大きいと思います。

若手建築家|A+Sa 04

Kクリニック(2009年)

若手建築家|A+Sa 05

O邸リノベーション(2010年) Photo by SHIMIZU KEN