特集|OPENERS的ニッポンの若手建築家 PARTII  Vol.3 吉村靖孝インタビュー

特集|OPENERS的ニッポンの若手建築家 PARTII  Vol.3  吉村靖孝インタビュー

OPENERS的ニッポンの若手建築家

Vol.3 吉村靖孝インタビュー(1)

社会における建築のあり方を変える

社会や、暮らしのあり方を考えることは、同時に建築の現状を考えることでもある。建築家 吉村靖孝氏は、社会における建築のあり方を変えたいと言う。それはとりもなおさず、建築が社会やひとに対して優しくあるべきだという考え方に繋がっているのではないだろうか。震災による強烈なインパクトをまえに、建築や都市は、もろくもはかない姿を露呈した。建築のオリジナリティを意識したうえで、それを他者と共有し、かつあたらしい価値を創造すること。震災以後の取り組みを中心に、吉村氏の建築へのスタンスを聞いた。

インタビュー、まとめ=加藤孝司

いま何を手がかりに都市をつくるか

――吉村さんは大学院修了後にオランダに渡ったと聞きました。当時のオランダの建築家たちの都市への立ち向かい方や、情報化社会における先験的な取り組みは、現在においてなお有効的な方法論たり得ていると思います。日本でも震災以後、都市が抱える問題や街づくりは、社会問題として議論されています。それを踏まえ、吉村さんがオランダで得たことを教えてください。

オランダに行ったのは1999年。オランダが好景気に湧いていた時期です。なかでも僕が働いていた「MVRDV」は、はっきりとその影響を受けていました。入所した当時のスタッフは15人程度、2年後に帰国するさいは60人ほどもいましたから、右肩上がりのムードをイメージしてもらえるのではないかと思います。

僕がもっとも感心したのは、そういった状況をうまく利用して、実験的な試みを数多く世に送り出していたことです。帰国して10年になりますが、いまふり返って考えてみると、それはけっして簡単なことではなかったはずだと思います。たとえば日本でもバブル期の建築が実験的であったことは疑いのない事実ですが、日本の場合は、建築の表層的な差異による付加価値の操作に終始していました。オランダでは、都市の骨格にメスを入れるような、より本質的で大胆な提案が受け入れられていって、地図を塗り替えているような手応えを感じることができました。美容整形ではなく、心臓を入れ替えるような大手術をしていたわけです。

また日本では、バブル崩壊以降、床面積を獲得することが利益につながる不動産の一番単純なスキームが前景化して、単調な高層マンションなどが建ちならぶことになりますが、オランダの建築家たちは、そのスキームにも飲み込まれずに独自の価値観を提示しようとしていたように思います。当時のオランダの都市に対するアプローチの多様さには、いま思い返してもワクワクさせられます。しかしそんなオランダでも、僕が帰国してから急速に景気が後退し、それ以後は大胆な提案が受け入れられにくくなったと聞きます。

日本がいま置かれている状況は、オランダが経験していない領域に踏み出していると思いますが、それでも学べることはあるように思います。好景気と震災では、条件が大きく異なりますが、どちらも都市的実験の採用条件になり得ると思うのです。研究や議論ではなく、決断が必要なフェーズにはからずも突入してしまったわけですから、ここで、どれだけ深く都市や社会の構造にコミットできるのか、建築家だけでなく、あらゆる分野のデザイナーたちの力量が試されているように思います。

吉村靖孝|建築家 02

『オリンピアクウォーター』(2009年~)Stadgenoot and MVRDV

吉村靖孝|建築家 03

『オリンピアクウォーター』(2009年~)Stadgenoot and MVRDV

――都市というものを批判的に捉えながら、実験的な試みをしてきたオランダとおなじ状況に、いま日本はあるということですか?

むしろ日本こそシビアな状況に直面していると思います。オランダは大きな国ではありませんから、いわば試験管のような取りまわしのよさがある。日本はずっと大柄ですし、しかもいきなり臨床段階を迎えてしまった。実験的であらざるを得ないような、緊迫した状況ではないでしょうか。

――建築家が都市に回帰する局面が、半世紀をかけて一巡してもどってきたということでしょうか。

その役が建築家になるのかどうか、正直なところまだよくわかりません。でも、いま日本の建築家はこの問題に真摯に取り組んでいると思うし、これまでとはちがう力が作用しはじめているような感覚はあります。建築家は、コンセントの位置だとか子ども部屋の数だとか隣家からのクレームだとか小さな条件に寄り添いながらも、そこに数十年後の都市といった大きな対象へと繋がるビジョンを織り込むよう訓練されています。ともかく動き出してしまったこのような状況下では、もっとも必要とされる力を備えていると言えるかもしれません。

――オランダは決めることを前提に、話し合うことを重視する社会だと言われます。いままさに我われが直面しているのは国難とも言える状況です。それが、1000年に一度のものなのか、50年に一度なのかわかりませんが、つぎの地震や津波に対して、どう備えるのかについて、規模のちがいこそあれ、オランダをお手本とすることはありそうですね。

たしかにオランダ人は洪水に耐えながら干拓を繰り返してみずから国土を築いてきた国民です。合意形成過程が極めて機能的にできているのは、そういった切迫した背景があるからだといえます。

――「オランダの土地はオランダ人がつくった」と言われるゆえんですね。歴史を積み重ねたり、文脈をつくる手がかりがないところからはじめているんですね。

オランダの干拓地と東北の津波による水害地域は、一見すると似ていますが、単純に海面下だった場所と、すでに長いあいだひとが住み、まだその痕跡が残っている場所とでは背景が大きく異なります。合意形成のシステムなど学べるところは学びながらも、より複雑な条件を解いていかなければなりません。そもそも日本のように豊かな地形をもつ国では、白紙に絵を描くように提案してもうまくいかないでしょう。人間はその単調さに耐えられないはずです。じつはオランダ人たちも、そこは後悔しているところがあります。

――それはどういったことですか?

彼らがよかれと思ってつくってきた1970年代、80年代のソーシャルハウジング(賃貸公共住宅の一種)が機能不全を起こしているんです。それらは十分に美しいけども、単調すぎて息苦しいわけです。僕は「MVRDV」がマスタープランを担当したアルメラのニュータウンの開発計画に参加していますが、そこでは世界中から25組の建築家を招聘しています。建築家の個性によって多様性を担保するわけです。皆でおなじ方向を向くことには大きな危険が潜んでいます。日本でもできるだけ多くの建築家が独自の行動を起こすことで多様性を生んでいかなければいけないと思います。

――震災からの復興が急がれるなかで、本来の都市や暮らしのなかにある、個々のちがいや多様性がないがしろにされていないか。さきほど吉村さんがおっしゃっていたように、経済性だけが優先され、ひたすらおなじものを反復するような建築が建ちかねない現状に僕も危機感を感じています。

吉村靖孝|建築家 04

『軒の家』(2008年)Photo by Yasutaka Yoshimura

吉村靖孝|建築家 05

『軒の家』(2008年)Photo by Yasutaka Yoshimura