生方ななえ|連載第13回「ジャッキー・チェンになれると信じていたころ」
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2015年4月28日

生方ななえ|連載第13回「ジャッキー・チェンになれると信じていたころ」

第13回「ジャッキー・チェンになれると信じていたころ」

写真・文=生方ななえ

子どものころ、私はジャッキー・チェンに憧れていた。壁を走ったり、シャンデリアに飛び乗ったり、ビルから飛び降りてもなんだかんだで市場の屋根に落下して助かったり。子どもの私には難しいけど、将来、大人になったらジャッキー・チェンのようになれる、と本気で信じていた。でもいつのころだったか、大人になったからといって誰でもあんなことができるわけではない、と友だちに言われ、私ははじめて現実を知った(それはサンタさんがいないことよりもはるかに衝撃的な気づきだった)。そう、私はジャッキーにはなれない。

でも不思議なことに、大人になって自由な時間が増えた私が望んだものは、ジャッキーのような闘える身体、だった。というと、なんだか大袈裟だが、自分の仕事をきっちり仕上げるためにも、体力が必要だと感じていたのである。モデルの仕事は体力勝負なところもある。早朝から撮影がはじまり、一日に何本も撮影がある日は夜までほとんど休めない。そして気を抜いていい仕事なんてないわけだから、集中力と思考力も必要とされる。移動も多く、寝不足になり、それが何日もつづくとさすがにきつくなる。気力でカバーできているうちはいい、しかし一方で蓄積されていく疲れも抜けづらくなる。そこで、体力をつけるためにキックボクシングをはじめたのだが、先日読んだ本のなかで、30年前に仕事のために走りはじめた方がいるのを知った。作家、村上春樹さんだ。

生方ななえ|連載第13回 02

『走ることについて語るときに僕の語ること』

生方ななえ|連載第13回 04

『走ることについて語るときに僕の語ること』

村上春樹さんの作品というと、小説はほとんど読んでいるが、エッセイ的なものは紐解いたことはなかった。今回、書き下ろしエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んでみて驚いた。これは走るというテーマを軸にして、自分自身について正面から語った「メモワール」であった。しかも、村上さんの人生哲学的な要素も入っている。なぜ、走りつづけるのか。なぜ、フルマラソンやトライアスロンにまで挑みつづけるのか。走ることは趣味の領域にとどまるものではなく、「小説をしっかり書くために身体能力を整え、向上させる」ためにつづけていることだった。ホノルルを走り、アテネを走り、ボストン、ニューヨークを走る。書きつづけるために走る。小説を書くことについての多くを、 道路を毎朝走ることから学ぶ。

「与えられた個々人の限界のなかで、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。」(『走ること』より)

私もはじめたばかりのキックボクシングだが、本を読んでいると、つづける勇気、自信をもらった気がした。なんだかんだいって、いつかジャッキーになれるんじゃないかと思いつつ、明日も頑張る。

生方ななえ|連載第13回 05

『走ることについて語るときに僕の語ること』
著者|村上春樹
発行|文藝春秋
定価|1500円

1982年秋、専業作家としての生活を開始したとき、彼は心を決めて路上を走りはじめた。それ以来25年にわたって世界各地で、フル・マラソンや、100キロ・マラソンや、トライアスロン・レースを休むことなく走りつづけてきた村上春樹氏。走ることは彼自身の生き方をどのように変え、彼の書く小説をどのように変えてきたのだろう? 日々路上に流された汗は、何をもたらしてくれたのか? 村上春樹が書き下ろす、走る小説家としての、そして小説を書くランナーとしての、必読のメモワール。

           
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