特集|OPENERS的ニッポンの女性建築家 Vol.5 永山祐子インタビュー

特集|OPENERS的ニッポンの女性建築家 Vol.5 永山祐子インタビュー

OPENERS的ニッポンの女性建築家

Vol.5 永山祐子インタビュー (1)

とどかない場所~あたらしい時代のスタンダードのあり方

現代はなにもないところからなにかをつくり出すような経済成長時代とは異なり、いまそこにあるスタンダードから、なにか別のスタンダードを生み出す、時代のあり方としてはそんなフェーズに突入しているといえるのではないだろうか。いまあるものに価値を見いだし、これまでにない視点からものを見たり、そこにある現象を考えることで、あたらしい時代の価値は生まれる。永山祐子氏は建築を通してものごとに偏在する普遍的なものから誰もみたことのない価値を抽出し、次世代のスタンダードを創造する。

インタビュアー、まとめ=加藤孝司

小さなスケールと、大きなスケール

──建築に興味をもったきっかけを教えてください。

じつはうちの祖父が建築を志していました。私には祖父の記憶はありませんが、谷口吉生さんのお父さまの谷口吉郎さんの研究室にいて、在籍当時、島崎藤村美術館などの設計を手伝っていたそうです。祖父は若くして亡くなったので直接的なやりとりはなかったのですが、家にはブルーノ・タウトの『アルプス建築』の日本語の初版本や柳宗悦の本がありました。

私自身は高校までは理系のクラスにいて、大学はバイオを専攻しようと考えていました。そんなとき、友人のひとりが建築学科に行くというのを聞きました。それまで私自身、進路に建築という選択肢はなかったのですが、建築に進むという方向もあるんだとそのとき思いました。そこで祖父のことや、いろいろなことが一気に結びついて、私が進む方向はバイオじゃなくて建築だと、瞬間的に思いました。

──そもそもバイオにはどのような経緯で興味をもったのでしょうか。

父が生物物理の研究者でしたので、私にとってはそれも身近なものでした。そのころ、バイオテクノロジーというものが注目を集めている時期で、私自身も、自然のなかの小さな世界を研究することに興味をもちました。

建築家|永山祐子 03

afloat-f(2002年)

──建築も、バイオという微細な世界を扱う分野とおなじように、身近な生活に近づいてみたり、ときに大きな視点からひいてみたり、その振幅に共通点がありそうですね。

そうですね。扱うスケールが、小さなものから、少し大きなものに移った、という感じですね。昔からイームズの『パワーズ・オブ・テン』(1968年)という本が大好きで、最初はそのなかに描かれていたミクロの世界を扱うバイオの仕事をしたいと思っていました。建築をはじめてからは、実際の人間のスケールに近いもの、そして、都市スケールへと、バイオの世界よりはもう少し大きなスケールの世界に興味が移ったという感じです。

──家から都市まで、さまざまなスケールを扱う建築家にとって、この世の中の存在すべてのスケールが描かれている『パワーズ・オブ・テン』のような映像はとても示唆的なものだと思うのですが、パワーズ・オブ・テンはどのような経緯で知ったのですか?

小学生のときでした。それはとても衝撃的な出会いでした。そこで描かれていた、相似系、フラクタクルな世界への興味は、そのころからもっています。──これを話すと精神世界の話のようになってしまうので、あまり話したことはないのですが、小さいころから、自分がどうしてここにいるのか、自分がこの世に存在していることを誰が証明してくれるのか、私はなぜここにいて、どうしてそれを認識できるのだろうか、本気で悩んで眠れなくなっていた時期がありました。自分の存在を疑う時期って誰しも一度はあると思のですが、そのときは、この世界と、自分を繋ぎとめるものがないと考えていました。

──この世界のなかにあるように見えるリアルなものと、自分は本当に繋がっているのかという不安ですね。

もちろん、日々のさまざまなひとやモノとの関係など、私を取り巻く環境が、一応私を現実の存在として認識させてくれているように感じるけれど、もしかしたらそれは完全な虚構かもしれない。そんな妄想をするような子どもでした。それで、『パワーズ・オブ・テン』を見て思ったのが、“私のなかにはもうひとりの私がいる”ということです。

あの映像ははじまりと終わりがおなじ画で、宇宙の星屑と素粒子の世界である一番下の層がまったく一緒、つまり円環状にどちらのスケールに進んでも存在の根本のところに帰ってくるような映像でした。私のなかに、私のような誰かが住んでいて、そのひとのなかにまたほかの誰かが住んでいてと、わたしの存在は、そうやって巡り巡っていく循環の一部だと思ったら、私のなかで妙に腑に落ちるものがありました。それから、そのような問題について悩まなくなりました。

──『トゥルーマン・ショウ』という映画がありますが、さきほど永山さんがおっしゃっていた、存在の層のレベルのなかの、もっと上の層のひとに見張られているような、そんな想像を僕もしたことがあります。それはまた、たくさんの人びとのなかで、自分自身を客観視してみている、ということでもあるのですが。

この世界に存在していること自体がフラクタルな構造のなかの一部だという認識は、『パワーズ・オブ・テン』を見たことによる影響が大きいです。自分のなかにほかの誰かが住んでいるのなら、自分はその誰かに対して責任をもたなければならない。そのひとつでも欠けたらいけないんだと思うようになりました。そういった意味では、私が存在する意味ということを、そのことが示していてくれていると思ったらとても落ち着きました。

──普段は友だちと元気に遊んでいるけど、どこかで冷めている自分がいる、というような感じですか?

どこかで俯瞰しているところがありました。でも当時はこういった話というのは、友だちにはできませんでしたから、父親が聞いてくれたり、それについての本を教えてくれたりしていました。