生方ななえ|連載第八回「お茶の時間」

生方ななえ|連載第八回「お茶の時間」

生方ななえの読書時間

第八回「お茶の時間」

写真・文=生方ななえ

私にとってのお茶とは普段の生活空間で友だちや家族と楽しむものであったり、慌ただしい日々の合間の、ほっとする時間だったりする。そのもととなっているのはおばあちゃんとのお茶だ。

子どものころ、おばあちゃんの家に遊びに行くとよく一緒に散歩をした。手をつなぎながら近所の田んぼ道を歩いていく。おばあちゃんは植物がとても好きなひとで、あちこちに咲いている季節折々の花や草を指差しては名前を教えてくれた。その草花に食べられる実がなっていれば実際に食べてみたり、よもぎが生えていれば「草餅を作ろうかねぇ」と言って若芽を摘んだりした。それは宝探しのようでわくわくする時間だった。

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おばあちゃんがくれた雪だるまのチャーム。

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川原近くの風景。

その散歩コースには、かならず川原に寄ることがメニューに入っていた。川原の景色が目に飛び込んでくると、一気にすずやかな水の音が耳に溢れ、川上から吹く風に目を細めて私は思いっきり息を吸い込んだ。川へひとりでは怖くて絶対に行けないけれど、今日はおばあちゃんと一緒だから大丈夫。川のほとりでは、きれいな石を拾ったり水切りをして遊んだ。私は水切りが下手で、石を投げてもひとつとんで、ボチャン。ジャンプしてくれない。つまらなく思っていると、ぴょんぴょんぴょんと何度も川面をとびはねていく石が視界を横切っていった。振り返ると、おばあちゃんがちょっと得意げに立っていた。川原からの帰り道、平らな石と川面をすべらせるように投げるのがポイントなのだとおばあちゃんはこっそり教えてくれた。

ゆるゆるとした散歩からもどったおばあちゃんの家には古い柱時計があった。その時計の振り子がたてるカチコチという音を聴くのが好きだった。散歩から帰ってきてその音を聴きながらお茶をいただく。幸せなあたたかさがじわじわ〜とからだに広がっていった。それはお茶のふしぎな力。さっきまでの疲れがどこかに吹き飛んでいくようだった。お菓子、お茶、おしゃべり。カチコチ、カチコチ。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。「おなかがいっぱいだね」と私が言うと、おばあちゃんはにこにこしていてとってもうれしそうだった。その表情を見ていたらおなかだけでなく、心のなかまで満たされていくかんじがした。

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お茶一服。

『茶 ──利休と今をつなぐ──』。千利休の末裔、武者小路千家の千宗屋さんによる茶の湯のお話である。なぜ茶碗を回すのか。なぜ茶室は狭いのか。三千家のちがいは何か。そんな疑問に本書はわかりやすく答えてくれる。歴史や茶道具、茶事など、茶の湯にかんすることすべて網羅している。

著者である千さんは毎日きちんと点前をするわけではなく、「キッチンにある電気ポットから茶碗にお湯を注ぎ、茶筅で手早くかき混ぜるだけ」というときもあるという。点前の詳細を知らなくても望みさえすれば、独服(自分のために自ら点てていただくお茶のこと)は誰でも楽しめるのだと。

以前は茶道の世界には憧れるもののどこか敷居が高いと感じられ、私とは無縁の世界だと敬遠していた。ところがこの本を読んでいると、茶の湯の世界に感じ入り、素直にいちど茶を点ててみたいと思った。

だれもが心ほどけるひととき──本当にお茶っていい。

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『茶 ──利休と今をつなぐ──
著者|千 宗屋
発行|新潮社
定価|777円

茶を「礼儀作法を学ぶもの」「花嫁修業のため」で片付けるのはもったいない。本来の茶の湯は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の全領域を駆使する生活文化の総合芸術。なぜ戦国武将たちが茶に熱狂したのか。なぜ千利休は豊臣秀吉に睨まれたのか。なぜ茶碗を回さなくてはいけないのか。死屍累々の歴史、作法のロジック、道具の愉しみ―利休の末裔、武者小路千家の若き異才の茶人が語る。新しい茶の湯論がここに。

ABOUT
UBUKATA Nanae

1979年生まれ。群馬県出身。 女性ファッション誌「Grazia」の表紙を飾るなど、数々のファッション誌や国内 […]